もりたさんは死ぬほど死にたい

遺書を書こうと決意した日に開設しました。いつ死んでもおかしくないし、後悔する前に死ねるなら死にたい…そんなもりたさんがやってくブログです。

あなたのおもい

こんばんは、もりたさんです。

あっつい…といいながら吸うタバコが美味しい今日この頃です。
でもすぐアイス食べたいなと考えてしまいます。

あっつい中アイスを食べて汗が引いていく心地よさに病みつきになっています笑
あぁ、アイス食べたい…と遠い目をしながら仕事に戻るのが程よく切なくて良し…なんて


さて、今日もカウンセリングを受けてきました。
引き続き行動認知療法です。

カウンセラーに限りませんが
誰かと対話をしていると、それだけでハッとさせられることがあります。

当たり前の自分の思考とはちがう側面を見ている人の存在に気がつくと
1人で考え込むことの危うさを思い知ります。

でも、私は常に誰ともかかわらずに過ごしているわけではないのに…

同僚とは当然対話があるのに
今でもつながっている友達とだって何気ない会話をするのに

すべて、差し障らない範囲の上辺の社交辞令と思ってしまいます。
だから自分に突き刺さらない

大丈夫?大丈夫だよ、という言葉や
私をさりげなく否定しない言葉

身近な人間からの言葉であるだけで、すべて甘言に聞こえてきます。
素直に受け入れていると手のひらを返される怖さ
自分がそういう風に気遣われることや建てられることがおかしなことに感じます。

優しくされる理由がないのに
気遣われる価値がないのに

その強い思いが、本当かもしれない他人の優しさを突き返してきしまう。
これは思い込みなのでしょうか

本当かどうかなんてわからないから
受け取るわけにはいかないと感じています。
むしろどういう意図があるのかと疑心暗鬼になります。

他人の言葉を無下にしているのは自分なのでしょうか


カウンセラーから言われる助言が
突き刺さる思いがするとき
でもその言葉は聞いたことがあるフレーズだったりするとき

どうして同じことを言われたのにこんなに刺さってくるんだろうと不思議に思います。

単に、専門家が言うからでしょうか…

自分の現状に問題意識をもって、矯正すべきものと考えるようになったからでしょうか
自分の考えがすこし歪められていることに、本当は気がついていたのだと思います。
でも、その一言だけですべてが紐解けるほど簡単なことじゃないから
その時々は触れずに、ここまで来てしまったのだと思います。
見て見ぬ振りをして来てしまいました。

いまならもうすこし冷静に向き合えるのでしょうか…
そうだといいな…

だから、次の予約も取ってきました。
もうすこし、頑張ります。


0か100かの極端な思考は自分を追い込みます。
1から99の中間が取れたらいいのに。

その1から99の状態とは、悩んでいるときを指すのだカウンセリングの方は言っていました。

悩んでいる現状が、ちょうどいいといいます。


…なるほど、混乱しますね笑


でも、なんとなく感じるのは
悩んでいく態度がちょうどいいことを模索するということ
思考を停止するのは、なにに対しても変われないということ
答えのない悩みに悩むのは足踏みだということ
でしょうか。

絶賛混乱した頭で病院を出て
混乱したままの頭でとりあえずタバコを吸いながら
気がついたらノートを買いに走っていました。

とりあえず、じゃあ悩んだこと書こうかな…と笑

まだよくその意味が咀嚼しきれないから
とりあえず悩んでみることにしました。

新しい文房具ってワクワクして好きです。
友達にもらった素敵な万年筆を探し出して(おい)使ってみようかと思います笑

そんなことを思うもりたさんでした。

ということで、今日はもうお腹が空いたので帰ります。
では、また今度。