もりたさんは死ぬほど死にたい

遺書を書こうと決意した日に開設しました。いつ死んでもおかしくないし、後悔する前に死ねるなら死にたい…そんなもりたさんがやってくブログです。

宛名のないSOS

こんにちは、もりたさんです。

日々とくに何も起きないこの頃を送っています。
要するに体調もいいわけですが
こんな日が続いていると、日ごとに見えない不安が募っていきます。

不安になるような事が起きるんじゃないかとか
今の状況がもっとつらい事になっていくんじゃないかとか…

何を根拠に、と言われてしまいそうですね
こんな事を言っていると、よく一蹴されてしまう事もあります。

何を指しているのかもよくわからないのにうだうだそんなこと言われてたら嫌気もさしますよね笑


さて、こんな風に思い始めるとどんどん気持ちがざわついてきてしまいます。
私の中では、さっきのような言葉だけではどうやらきれいに気持ちを落ち着ける事ができないんです。
私のこういうところが変なんだな…と常々思いますが…

それは置いといて

気持ちが落ち着かなくて不安になると
残念ながら、腕を切ってしまう事があります。
(嫌悪感を与えてしましたら申し訳ありません)

私の友人で、家庭環境が原因でそうしてしまう子がいました。
その時は、自分を切りつける行為をなぜ欲してしまうのか、実際のところはわかりませんでした。
ただ、自分の事を血を流すまで切りつけてしまえるくらい息苦しい思いをしていることだけは感じていました。

大切な存在である人が、そんなにも苦しんでいることにとても胸が痛みました。
私の気持ちを押し付けられるなら、強引にでもその道具を奪ってしまいたいくらいでした。
とても見ていられない、その事実がただただ悲しかったです。

痛いし、なにより自分には怖くてできないと本気で思っていたと思います。

でも、そこから数年後いざ自分がその行為を望み始めた時、その行為をやってのけてしまえる理由がすこしわかった気がします。
誰かの痛みを易々とわかった、なんて言えませんが、それでもすこしはその実際を感じた気がします。

切りたいと望むのは、ざわついてどうにも落ち着けない気持ちが止まらない時
そのまま不安な気持ちで押しつぶされそうになってきます。

あー…これはまずいな
自分ちょっとおかしいな…

そんな自分にも気がつきます。
すると焦りにも似た思いで、切りたい切りたいと考えてしまう…。
あくまで私の場合ですが… 

切ると、そこから血が滲んで流れてきます。
私はこの時初めて気持ちが落ち着いてきます。
それは多分、これまでのざわついた不安を初めて形として感じ取ることができるからだと思います。

確かに痛くて、つらかったんだねと、自分のことながらようやくわかってあげられる感覚です。
認めてあげられるという事でしょうか。

すると、一旦気持ちが落ち着いてなんだかリラックスにも似た感覚になっています。


マゾなの?!


なんて言われてしまいそうですね笑

若干マゾなところは否定できません(!)が、わたしの場合はこんな事を繰り返しながらなんとか自分を保っています。
あれ、なんだか説得力が…?笑


切ることでしか気持ちが落ち着けられなくて
どうしても切ってしまう時
これは、誰かへのSOSではないんだとわたしは思います。
強いて言うなら、自分に対してのSOSなのではないか…。

誰かに気づいて欲しかったり、助けて欲しくて傷をつけるのってすこし理由としては弱い気がします。
間接的な方法のために、最初から痛いとわかっている事をするのは結構勇気が必要になるとおもいます。

追い詰められて、半ば衝動も手伝って何度もなんども切りつけてどうにか逃げられたような妄想を得る…
やってしまえるのは、そうしないとどうにかなりそうだからです。

切った後の傷跡はけっこう残ってしまいます。それに切ってしばらくは痛みも残ります。

でも、その傷跡を眺めていると
こうするとこでしか逃げ場がない今の自分が情けなく思えて後悔を感じる事もありますが
確かに痛かったという実感が得られます。

やっぱりマゾな…!

ではなくて笑、確かにつらかったんだなという意味合いで…

自分自身が理解できるとすこし気持ちが落ち着くという意味ですね。


全然説得力なんてないし、あくまでわたしの事例なんて他の人も似ているのか怪しいところですが…自信がありません。
でも、真っ先に否定されるのではなく
欲する理由とやめられない理由がきっとあるのだと思っています。
そんな事を出社前に思う森田さんでした…。

では、また今度。