もりたさんは死ぬほど死にたい

遺書を書こうと決意した日に開設しました。いつ死んでもおかしくないし、後悔する前に死ねるなら死にたい…そんなもりたさんがやってくブログです。

”死にたい”は”幸せに生きたい”の略だって誰かが言っていた

こんにちは、もりたさんです。

初投稿ということで、死にたい思いとは別に楽しいことも増やせればと思っていると書いたのに…

絶賛死にたい中です。

こんなこと言ってみたり書いたりしていると、どうせ死にたい死にたい詐欺だとか甘えているとか
そう言われてしまっても仕方がないと思います。
実際そう言われることもありましたし、普通を一生懸命全うして生きている人たちからしたらと思うと、なにも返す言葉がありません。
普通を普通らしくこなして生きている人たちを尊敬していますから…。

ただ、こんな感情が物心ついた頃からあって、むしろその思考が当たり前すぎて、すこしずれているのは自分であることに徐々に気がついてきたのだとしたら
こればかりは、構って欲しいだけの訴求ではないのです…。
こびりついてしまった嫌な性格です笑

いや、ほんとは笑えないんですが…笑
ほんとは(泣)って感じです。


さて、意気込み虚しく2回目は死にたい内容になってしまう予定ですが、
よく死にたいという衝動に襲われて気持ちが強くなると
自殺について検索をかけてしまいます。
そうすると大体もう読み尽くした記事が出てきてはまた、それを読んでいるのですが。
その中に、タイトルにした一節がよく出て来ます。
わたしはそれを何度も読み返しては、そっと気持ちが落ち着く感じがしています。

死にたい、は幸せに生きたいの略だっていう言葉。

本当だ!笑

いつも思い出しては初めて聞いたかのように驚いてます
気がついた人すごいな〜って笑


死にたくなる時
それって今の現状にどうしても目が当てられなくなって
逃げ出したくても、そんなことする勇気も気力もなくて
現状を維持して迷惑をかけないようにじっと耐えるしかないと感じて絶望してしまう気持ちです。(わたしの場合)

それはつまり、根底の思いとしては
どうにかできるんだったらそうするけどそうもいかない、だからもし死ねるなら…
なんていう妥協案的な死にたい欲求なんですね。
そう考えると、自分の本当の思いに気がつけます。
それで死ななくても良い方法が見つからないから、いつまでも死にたい思いから逃れられていないのですが
それでも、そのまま死ぬことが本当は不本意であるということは理解ができます。

残念ながら死にたい衝動よりもまだ理性が勝っているから生きていられている訳ですが
この言葉のおかげで、すこし冷静になれる自分がいます。